東日本大震災 神奈川職員による支援報告

生活クラブ神奈川では、生活クラブ岩手を拠点として、提携生産者・重茂漁協ならび三陸周辺地域の被災地への支援を目的に、3/24(木)~4/17(日)までを第一弾として、職員を派遣しています。主な支援内容は①被災地への応急生活物資搬送②提携生産者、被災地住民支援、③被災地の片づけ支援④被災組合員訪問⑤共同購入配送補助⑥その他 です。

以下、現地支援に行った職員からの報告です。
今回は、支援期間4/5~4/11の内田明職員、川田勇介職員と、4/11~4/17までの若林新一職員、長田貢一職員の報告を掲載します。
 
●報告者:たすけあいネットワーク事業部 内田明(4月5日~4月11日)
 4月6日、初めて、沿岸部へ行きました。岩手県山田町の船越漁協へ支援物資を運ぶためです。船越漁協とは、直接的に生活クラブとは提携関係にはありませんが、提携生産者である岩手県宮古の重茂漁協(肉厚わかめなどの生産者)を中心に周辺漁協の復興のため、重茂漁協からの要請として、物資の搬入を行っています。そのため、自衛隊、ボランティア団体からの支援物資とは意味あいが異なります。
 生活クラブ岩手の盛岡センターから山田町までは、車で山道を超えて2時間以上走ります。沿岸部までは、多くの建物が倒壊しているといった光景が見られないため、山を越え、沿岸部の光景を見た時は、別の世界に来てしまったかのように感じられます。沿岸部は、瓦礫の山で、何もないのです。テレビや写真の光景の中に自分がおり、そして、何とも言えない腐ったような磯の匂いが鼻をつく。本当に、大きな地震、津波が街を襲ったのだと実感させられました。しかし、支援を通じて、生活クラブの活動、組合員、生産者との絆の深さも改めて感じました。
 
         被災地岩手県宮古の様子
 
 宮城県石巻市の高橋徳治商店(魚肉練り製品などの生産者)のヘドロのだらけの工場や自宅兼冷凍・冷蔵庫からヘドロを掻きだす作業で、駆け付けた有志の岩手の組合員たちを前に、社長より「何年かかるかわからないが、待っていて欲しい」との言葉に、組合員から「待ってるから」と返事があったことはとても心に残っています。
 重茂漁協の近くにある重茂中学校へ、重茂漁協の要請として支援物資搬入した際、物資を搬入すると、先生が呼びかけ、集まってきた生徒たちが物資をバケツリレー方式で渡していきますが、何の物資かわかるたびに学生たちが笑顔になり、話が盛り上がっていきます。支援物資の消費材を食べ、部活動に打ち込み、笑顔で元気よくやっている姿を見たら、すぐそこが津波の被害で壊滅していることを忘れさせるほどでした。
 支援を通じては、生涯忘れることのない、印象深いことがたくさんありました。自分たちに何ができるのか…。たくさん考える機会にもなりました。1人1人が今回の震災を風化させることなく、何ができるか考え、できるかたちで支援をしていく、続けていく。そうしながら、被災地と繋がり、復興していく道をつくっていきたいと思います。
 
    重茂漁協に届けられた12tトラック一杯の
      生活クラブ東京からの寄付の毛布
 
●報告者:政策調整部 川田勇介(4月5日~4月11日)
 養殖網もろとも流された重茂漁港は、ようやく流れた橋を盛り土で仮設した(それも4月23日からの雨で流されてしまったようですが)程度に留まり、あとはそのまま。石巻・高橋徳治商店の横の建物は斜めに傾いたままで、南三陸町は文字通り何もないまま。
 重茂では「地域の復興なくして重茂の復興はない」という考え方から、周辺の漁協の支援にも赴きました。しかし、宮古の市街地から離れた山田町では、瓦礫を寄せて道を作るのが精一杯の様子で、重茂周辺よりも作業が進んでいませんでした。
 何もかもが「地震後そのまま」の状態でした。さらに、4月7日夜には震度6の余震が起き、高橋徳治商店の工場を再び津波が襲いました(そのことで4月9日の作業は中止になってしまいました)。
 そのままでも大変な状況に余震が襲い掛かり、さらに状況を悪化させていく。この状況がいつまで続くのか。生活クラブとして、いつまで支援を続けていくのか。その途方の無さに、見た目以上の厳しい現状を見た気がします。
 
           被災地岩手県宮古の様子
 
 ただ、生活クラブの生産者を回っているうちに、希望も見て取れました。それは、生産者の「組織」が生きていたということです。
 高台にある重茂漁協はしっかりと残っており、そこを中心に地域全体で助け合っていました。小学校・中学校といった教育機関やガソリンスタンドも無事でした。高橋徳治商店では、工場こそ壊滅的な被害を受けたものの、素早い避難で社長を含め、社員は無事でした。街が壊滅した南三陸町・丸寿阿部商店も同様です。
 行政を含めた組織が崩壊してしまった地域では、まとめる人や作業を担う人が少なく、当座をしのぐのが精一杯という状況でした。そういうところでは先の方針を決められないことに加え、負担の大きさから疲弊しきっていました。
それを考えると、組織が生き残り、一丸になって復興に向けて動けることは非常に大きいことではないかと思います。特に重茂では動きが早く、既報のように漁業の共有化を進めることが決まっています。実際、初日に訪れた重茂漁港では早くも港が使えるようにと船の整備や港の海底の調査を行っていました。また、高台にあった加工所が自家発電装置の活躍により無事だったため、冷蔵庫で無事保管されていた「3.11」の加工日が印字されている『茎わかめ』が4月8日に、最近では『きざみめかぶ』が出荷されました。
 
 生産者は復興に向けて早くも動き始めています。その力強さには頭が下がります。
 しかし、このような未曾有の災害です。非常に大きい不安があることも事実です。実際、高橋徳治商店では被害額の大きさから廃業の可能性もあると聞きました。特に、震災直後は不安が表情に色濃く出ていたようで、4月7日の支援後には岩手の組合員が「社長もだいぶ前向きになってきたね」という話をしていました。
 また、幸いなことに工場が無事だった丸寿阿部商店では「作りたくても原料が、売りたくても売る先がない」という話がありました。港から卸、流通を含めて崩壊している状況では、例え無事でも困難や不安が生じているのです。
 そういった不安を抱えながらも、復興に向けて生産者を支えるために生活クラブや組合員・職員に何が出来るのか。出来ることは岩手の大木専務がよく言っていた「生産者のバックには生活クラブの組合員がついていることを示す」ことではないかと自分も思います。これまで自分を含めて行ってきた支援から、これから先、消費材が安定供給されるまで。長い道のりになりますが、また再び重茂のわかめや徳治の練り物を食べるためにも、みんなで支えていければと思います。そのためにも、現在実施しているカンパを含め、生活クラブの持つ力を結集していければと思います。
今回は津波の被害に遭った沿岸の生産者の支援に赴きましたが、岩手県内には他にも生活クラブの生産者がいます。例えば、南部地粉うどんの生産者である戸田久は、じゃじゃ麺やお土産用の蕎麦などを市販しています。また、南部せんべいや冷凍和菓子の「芽吹き屋」こと岩手阿部製粉は、盛岡駅構内などにお土産屋さんを展開しています。
それらの生産者も、沿岸部の消費者を失ったり観光客の激減などで厳しい状況にあるそうです。直接の被害に遭っていないとはいえ、そういう生産者も間接的な「被災者」なのではないでしょうか。ライブリーやデポーのフロアーにこれらの消費材はあると思いますので、是非とも買い支えていければと思います。
 
●報告者:総務部 若林新一(4月11日~4月17日)
1.4/11
 震災発生からちょうど1か月が経った4/11に、東京駅9時発の高速バスで、盛岡駅に向けて出発しました。東北道の途中、福島県あたりで路面が凸凹となっているため、バスの速度が出せず17時に盛岡駅に着きました。盛岡駅から岩手単協の盛岡センターへ直行して、大木専務の指示に従い翌日からの行動について確認を行いました。その後、花巻宿舎へ直行しました。
(この日から連合会(相澤職員)と神奈川単協の2名の計3名での支援でした。)
 
2.4/12
 私は、岩手単協理事長(熊谷さん)と宮古北部にある田老地区の避難所である「グリーンピア」への支援物資搬送を行いました。グリーンピアには、すでに自衛隊の炊き出し部隊が入っていて、また、仮設住宅も一部完成していました。
 4/11より競りが開始されたとの情報から宮古魚港に戻り、現状確認のために熊谷理事長と取材を行い4/12は、14時から競りが行われることを確認した。14時まで時間があったので、重茂漁協へ向い参事の高坂さんとお話をすることができました。
 再び、宮古魚港へもどり、トロール船が約10隻、港につけて荷降ろしを行い、競りの場面に遭遇できました。宮古魚港は、震災から1か月で復旧復興への第一歩の兆しが見えているのに、となりに大量の瓦礫の一時集積所が設けられていて「何とも皮肉な光景」と感じました。
 
     グリーンピアに駐在する自衛隊
 
 
    グリーンピアの仮説住宅建設の様子          
 
    4/11より再開した宮古漁港
 
 
  4/12に宮古漁港に水揚げされたカニ
 
  宮古漁港の仮事務所(プレハブ)
 
 
宮古漁港に隣接する瓦礫撤去の一時集積所
 
3.4/13、4/14
 高橋徳治商店の工場内部で海水につかった機械を真水で清掃する作業を行いました。
宮城県石巻地域は、電気・ガス・水道が通っていないため、花巻宿舎からポリタンク等で水を約200ℓ、連日持参して清掃作業を行いました。
 
 高橋徳治商店の煉物機械の洗浄を行う長田職員
 
4.4/15
 重茂漁協へ、太陽食販(大型車)と長野・山梨・東京単協からの下着類の支援物資の搬送をおこないました。重茂漁協へ向う道路(一部海岸線)は、1車線が津波でえぐられていて、大型車が通るには、かなり危険な状態でした。重茂漁協の人たちも大変よろこんでくれました。
 
重茂漁協へ支援物資を搬送した大型トラック(太陽食販)が到着
 
 
 
 長野単協やその他単協から集められた支援物資(おもに衣類)
 
 
  
トラックから降ろされた支援物資を仕分ける重茂漁協の職員
 
 
 
連合会(飯能DC)の佐々木物流管理部長
 
 
5.4/16
 南三陸にある丸寿阿部商店へ支援物資の搬送をおこないました。新聞やテレビのニュースで「町全体が壊滅的な被害を受けた地域」と言われているとおり、現地に入ったとたん、目を疑いました。肉眼で見る光景は、写真やビデオで見るものとは全く違い、津波の威力のすごさを目の当たりにした。「この世のものではない。」と実感しました。
 
   南三陸町の津波被害の様子
 
6.4/17
花巻宿舎から帰路に向かい8時半に出発しました。
東京単協のトラックと神奈川単協のトラックでふくしま単協へ向いました。東京単協のトラックをふくしま単協において、神奈川単協に17時に到着しました。
 
●報告者:たすけあいネットワーク事業部 長田貢一(4月11日~4月17日)
4/11に盛岡駅に着いた時の光景は、被災地とは程遠く普段と変わらないのではという印象でした。ところが、翌日に沿岸部へ支援物資を届けた際に目に入って来たのは、これまでに見たことのない凄まじい状態で、街がそのまま削り取られたものでした。正直「うわー・・・」としか言葉が出ませんでした。
被災地の方々と接していて一番印象に残った言葉は、「物よりも仕事をくれ!」でした。物資はある程度行き渡っているのだが、海と共に生きてきた方達は、今後の生活をどうやって成り立てて行けばよいのか途方に暮れていました。
その様な中で、重茂、髙橋徳治商店、丸寿阿部商店などの方々と係わることが出来ましたが、このような状況の中でも、前向きに復興に向けて動いていました。皆さんの作ったものを待っている組合員が沢山いることを伝えると、「負げてられねぇなぁ~」と言い、何年かかるかは分からないが復興してみせるという思いを感じました。
現地で頑張っている方々と接している中で、今後、私たちにどのような支援が出来るのか、継続してできる支援は何かを考えなければならないと痛感しました。
 
    重茂の凄まじい道を走るDCのトラック
 
 
     高橋徳治商店 機械の真水洗浄
 
 
      高橋徳治商店 第2工場の様子
 
 
         石巻漁港の様子
 

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